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Ryan Driver『Careless Thoughts』
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アプレミディ・レコーズの単体アーティスト作品第13弾として、2014年のライアン・ドライヴァー・クインテット名義の『Plays The Stephen Parkinson Songbook』も好評を博したライアン・ドライヴァーの新作『Careless Thoughts』が11/26にリリースされます。ジャズ・スタンダードからチェンバー・フォークまで、チェット・ベイカーやナット・キング・コールからボン・イヴェールやフランク・オーシャンへとつながる、心をとらえて離さないロマンティックで内省的かつ甘美な名曲たちの系譜の新たなるクラシックの誕生。温かなヴォーカルとアコースティック&ジャジーなバンド・アンサンブルをストリングスやヴィブラフォンが優美に彩る、今年すでに2回の来日を果たした活況を極めるトロント・インディー・シーンの最重要人物が生んだ新名盤です。アプレミディ・セレソンでお買い上げの方にはもれなく(通販含む)、ライアン・ドライヴァーのベッドルーム・ライヴ「Careless Thoughts」も収録された橋本徹・選曲のスペシャルCD-R『Best Of Suburbia Radio Vol.4』をプレゼント致しますので、お見逃しなく!
Ryan Driver『Careless Thoughts』ライナー(国分純平)
彼はスーパーシャイな男だ。今年10月に渋谷のWWWで行われたライヴで、サンドロ・ペリはライアン・ドライヴァーのことをそう紹介したのだそう。ライアンはサンドロ・ペリ&フレンズの“フレンズ”として、長年一緒にやっているマイク・スミスとともに、2017年2度目となる来日をしていた。ライアンがその前に日本を訪れたのは、2月のこと。やはりトロントの盟友である、ギタリストのエリック・シュノーとのツーマン・ツアーでのことだった。その際、僕は二人の取材に立ち会ったのだが、インタヴューをする前に主催者の方から、ライアンはとてもシャイな人なので……と言われたのをよく覚えている。実際に会ったライアンは、伏し目がちで、物静かで、とてもおとなしい人だった。かと言って、近寄りがたい雰囲気はまったくなく、穏やかな表情で、慎重に言葉を選んで受け答えしてくれている姿には、長い経歴を持つアーティストらしからぬ親しみやすささえ感じた。そんな彼の人柄は、僕がここ数年夢中になって追ってきたトロントのシーンそのものと重なって見えたのだった。
ここで言うトロントの音楽シーン(便宜的にトロント・インディーと呼ばせてもらおう)は、決して派手なシーンではない。同じトロントを拠点に活動するドレイクやバッドバッドノットグッドほどの知名度があるミュージシャンがいるわけでもないし、ロバート・グラスパーらに端を発する近年の世界的なジャズの新潮流のようなスケールがあるわけでもない。当事者であるサンドロ・ペリ自身も、先の来日時のインタヴューで「ものすごく小さな」シーンだと語っていた。しかし、「ものすごく小さい」からこそ、熟成される人間関係があり、積み上げられる歴史がある。ひっそりと、独自のシーンを形成し続けてきたトロント・インディーは、それゆえの魅力がある。まさにライアン・ドライヴァーがそうであるように、だ。
ライアン・ドライヴァーは1974年生まれの現在43歳。20年以上前にトロントに拠点を移して以来、ずっと同地で音楽活動をしているシンガー・ソングライター、マルチ・ミュージシャンである。初のソロ・アルバム『Feeler Of Pure Joy』のリリースは2009年、35歳のときと少し遅めだが、その10年前、1999年ごろからさまざまなバンド/プロジェクトで活動を行ってきた。サンドロ・ペリとのデュオ=ダブル・スーサイド(Double Suicide)、エリック・シュノーとダグ・ティエリとのカヴァー・プロジェクト=ザ・リヴェリーズ(The Reveries)、サックス奏者のブロディー・ウェストによるカリプソ×フリー・ジャズ・プロジェクト=ユーカリ(Euaclyptus)、メキシコ音楽をモティーフにしたブラー・ブラー・666(Blah Blah 666)、ハワイ音楽やエキゾティカがテーマのミュージック・イン・ハワイ(Music In Hawaii)、英国フォーク/トラディショナル・バンドのマーメイズ(Mermaids)などなど……ライアンの公式サイトには、彼がメンバーとして関わった20を超えるバンド/プロジェクトがずらりと並んでいる。
こうした多くのプロジェクトが可能であったのは、トロントという街(の「ものすごく小さな」場所だけれど)が独自に育んできた土壌ゆえである。トロントにはアヴァン・ジャズ/フリー・インプロヴィゼイション系のシーンが昔からあり、古いライヴハウスやバーが、音楽家たちが交流するためのコミュニティー、あるいは切磋琢磨する場として機能してきた。1999年に結成し、2014年にようやくファースト・アルバム『Plays The Stephen Parkinson Songbook』をリリースしたライアン・ドライヴァー・クインテットはTRANZACというライヴハウスでいまでも月に一度はステージをとっているし、ライアンやエリックやサンドロが出会ったのも、まさにそうした場所だったという。「トロントの音楽シーンは、極めて素晴らしい。本当の意味でのコラボレイションのスピリットがあるし、何でもできるという感覚があるんだ」とはライアン自身の言葉だ(Tin Angel Recordsの公式サイトから)。
とりわけ、ライアンやエリック、サンドロらが登場した2000年前後以降、トロントのシーンはさらに熟成を重ね、より有機的なネットワークを築いてきている。それは、彼らが媒介となってジャズ/インプロ系のシーンとは離れた、ポップス系の人脈とつながるようになったことが大きいだろう。アーケイド・ファイアーなどのストリングス・アレンジも手がけるオーウェン・パレット、ジョニ・ミッチェルも引き合いに出されるシンガー・ソングライターのジ・ウェザー・ステイション、メンバーそれぞれが多くの作品に客演する男女デュオのスノウブリンクなど、インディー・ロック界隈では名の知れたミュージシャンとの人脈のコネクションが、そのままシーンの音楽性の広がりと深化につながっている。ポップス系のミュージシャンがフリー・ジャズ作品に華やかさをもたらし、インプロ系の音楽家がポップス作品にひらめきを与える。エリック・シュノーの幽玄なギター・プレイ、サンドロ・ペリのモーグやオーケストレイションを用いた色鮮やかなアレンジ、ジ・ウェザー・ステイションの凛とした歌声。サンドロは「円と円の重なり」と表現していたが、アカデミックで実験的なプレイヤーと、大衆的なポップスを演奏する音楽家とが、それぞれの作品に互いに参加しあうことにより、シーン全体がなだらかなグラデイションを帯びているのだ。世界的に見ても、珍しいシーンだと言えるだろう。
そんな個性豊かなプレイヤーが集まるトロント・インディー・シーンのなかでも、ライアン・ドライヴァーは最も重要なプレイヤーのひとりである。それは上記の、関わってきたプロジェクトの数を見れば明らかだが、それ以外にも彼はマルチ奏者として、さまざまな楽器演奏で膨大な数の作品にゲストとして参加している。幼いころから習っていたというギター、ピアノ、フルートだけでなく、アナログ・シンセ、チェレスタ、マンドリン、パーカッション、さらには自作の楽器であるサム・リーズ(Thumb-Reeds、風船の切れ端を用いた楽器で草笛のように吹いて音を出す)、ザ・ストリートスウィーパー・ブリスル・ベース(The Streetsweeper Bristle Bass、細い鉄の棒をテーブルの端に置いて指でしならせて音を出す楽器。The Quasi-Ruler Bassの別名もある)、マウス・スピーカー(Mouth-Speaker、トークボックスの要領で口内で音を反響させて口を楽器として使う)など、ライアンが演奏する楽器は実に多岐にわたる。しかも、彼は歌も素晴らしい。ライアン・ドライヴァー・クインテットでジャズ・スタンダードを歌う彼はまるでチェット・ベイカーのようでもあるが、曲調が違えばまた異なる表情を見せる。まさに、マルチ・ミュージシャンなのである。
今回リリースされた『Careless Thoughts』は、ライアン・ドライヴァー名義としては3枚目のフル・アルバムである。ソロ・デビュー作は2009年の『Feeler Of Pure Joy』、2作目は2011年の『Who's Breathing?』だから、クインテットのアルバムやほかのプロジェクトの作品があったとはいえ、実に6年ぶりのソロ・アルバムということになる。一聴してまず思ったのは、これまでよりもジャジーな作品だということだ。ソロ名義での彼は、基本的にはフォーキーなサウンドが特徴だった。もちろん、彼がほかのプロジェクトで見せてきたような、ブロークンなジャズ表現やマニアックな音楽語彙も端々に顔を出してはいたが、『Feeler Of Pure Joy』は実にシンガー・ソングライター然としたフォーキーな作品だし、音楽的な振り幅を増した『Who's Breathing?』にしてもペダル・スティールやアコースティック・ギターのアーシーな響きをメインにした楽曲が半分を占めていた。しかし、今作でその系列にあるのは、ジ・ウェザー・ステイションことタマラ・リンデマンとのデュエット曲「It Must Be Dark Tonight」と、強いて言えば「It's Nothing Time」くらい。このシックな手触りとアダルトな雰囲気は、ライアン・ドライヴァー・クインテットのアルバムの延長線上にあると言ってもいいかもしれない。
ギターよりもピアノの比重が大きいこともそう感じる一因だが、「They Call This Everything」の冒頭から曲を柔らかに包みこむストリングスの存在は、クインテットにもこれまでの彼のソロ・アルバムにもなかったものであり、特筆すべきだろう。冒頭曲からタイトル曲、そしてアルバムの最後を締める「There Once Was A Sky」まで、このストリングスの優雅な音色はテーマのように現れ、作品のカラーを決定づけている。古い映画や往年のポピュラー歌手を思わせる、ノスタルジックで気品高い響き。ライアン・ドライヴァー・クインテットで聴かせたオールド・ジャズやポピュラー・ヴォーカルへの愛情が、ここではまた違うかたちで表現されている。語りかけるように歌う「Careless Thoughts」のヴォーカルの親密さ、「The Seasons The Months And The Days」のバート・バカラック曲にも似た温もり。まろやかな音色で転がるヴィブラフォンとスケールの大きなストリングスが交歓する「Olive Tree」の美しさには息を呑んでしまう。
この極めて印象的なストリングスのアレンジは、1曲を除き、トム・ギルが担当している。ギルはオーウェン・パレット作品などに参加するギタリストであり、トーマス(Thomas)名義でソロ活動をしている才人で、ライアンとは昨年インフレイタブル・チェイス(Inflatable Chaise)というデュオも始めている。彼のソロ作品は独特なファルセット・ヴォイスをいかしたR&B調のものであり、そんな彼がこうした荘厳とも言えるストリングス・アレンジをしていることに、トロント・インディーの懐の深さを改めて感じる。もうひとり、「There Once Was A Sky」のアレンジを担当しているジャスティン・ヘインズも、やはりトロント・インディー作品には欠かせないギタリスト/マルチ奏者。マーメイズやブラー・ブラー・666など数多くのバンドでライアンと共演し、過去にはライアン・ドライヴァー・クインテットのメンバーだったこともあるプレイヤーだ。
一方で、ライアンらしいユニークなアイディアやひねりの効いたアンサンブルも聴くことができる。それらは全編を通して随所に忍ばされているが、なかでも「Love」と最後の「There Once Was A Sky」は象徴的な曲だろう。中盤に2分近い静寂の間奏パートを挟み、幻想的に立ち上ってくるエレクトロニクスが孕む淡いノイズとともに終わりを迎える前者。アナログ・シンセやヴィブラフォンの音色を効果的に用いながら、壮大なストリングスとともに9分にわたって徐々にクライマックスに昇りつめる後者。どちらもジャジーな今作にあってもひときわロマンティックな曲だが、ライアンの即興音楽家、多種の楽器を操るマルチ奏者としての一面が、楽曲の持つ美しさをより浮き彫りにしている名演・名曲だ。どの曲もベースにあるのは人々が永く歌い継いできたフォークやジャズ・スタンダード。しかし、どの曲も普通のポップスにはない、歪な仕掛けに満ちている。物事や人生の一面を描いたような、その繊細な筆致と豊かな感情表現に僕は心を打たれてしまう。
先に挙げたトム・ギルやタマラ・リンデマン、ジャスティン・ヘインズのほか、このアルバムには、ライアンとともにトロント・インディーの濃密なネットワークを築き上げてきた面々が多く参加している。ライアン・ドライヴァー・クインテットのメンバーであるニック・フレイザーとロブ・クラットンがいれば、やはり過去にクインテットの一員だったことがあるブレイク・ハワードがいる。あるいは、ライアンとザ・リヴェリーズなどのバンドで活動をともにする盟友ダグ・ティエリがいて、共同プロデュースには前作『Who's Breathing?』も手がけたジーン・マーティンの名前がある。このアルバムはライアン・ドライヴァーのソロ・アルバムではあるが、トロント・インディーの作品として聴くことで、より多面的に、より深く作品を楽しむことができるのではないかと思う。個性豊かなプレイヤーたちが大切に守ってきた自由なシーン。『Careless Thoughts』は、そうした環境があったからこそ生まれた作品でもある。
このアルバムが気に入ったら、ぜひ、ほかのトロント・インディーの作品も聴いてみてほしい。そこにはおそらくライアンがいるし、間違いなく素晴らしいものであるから。たとえば、この新作と前後して、ライアンがアナログ・シンセを弾くリナ・アレマーノズ・タイタニウム・ライオットのアルバム『Squish It!』がリリースされている。完全にフリー・ジャズ/インプロ側の作品なのだが、やはりこの振り幅こそ、ライアンの、トロント・インディーの面白さだ。ライアンは、こうして僕らが新作を聴いているこの瞬間にも、同じ仲間といつもどおりにセッションし、新しいプロジェクトについてあれこれと思いを巡らせていることだろう。「ものすごく小さな」シーンのそんな音楽家たちの存在が、僕にはとても心強い。