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V.A.『サンジェルマン、うたかたの日々。』

通常価格(税込): 2,750
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ピエール・バルーが映画「男と女」での成功とほぼ時を同じくして1966年に設立したフランス最古のインディー・レーベル、サラヴァ(ポルトガル語で“祝福あれ”の意)の半世紀にわたる偉大な歴史から、橋本徹が「サウドシズモ」をテーマに選りすぐりの名作を紡いだコンピレイション『モンマルトル、愛の夜。』に続き、「スピリチュアリズモ」をテーマにした兄弟編『サンジェルマン、うたかたの日々。』が4/14に先行入荷します。ジャズと左岸派シャンソンの美しい契り、サンジェルマン=デ・プレの青春群像の記憶を宿した、純度の高い精神性が息づく孤高の音楽、その試みに満ちた自由な表現の先に実を結んだ“一期一会の奇跡”が香り高く刻印されています。アプレミディ・セレソンでお買い上げの方にはもれなく(通販含む)、橋本徹・選曲のスペシャルCD-R『ある晴れた春の日に』(Night & Dayの2枚組!)をプレゼント致しますので(※特典CD-Rの配布は終了致しました)、お見逃しなく!


●橋本徹『サンジェルマン、うたかたの日々。』ライナー

美しい女の子との恋愛、デューク・エリントンの音楽。それ以外のものなんて、消えちまえばいい。
サンジェルマン=デ・プレの貴公子とも言われたボリス・ヴィアンによるシュールな青春小説、そしてレイモン・クノーが評したように美しくも悲痛な恋の物語でもある「うたかたの日々」の序文には、主人公である夢多き青年コランによるこんな言葉がある。
パリの片隅で儚い青春の日々を送る男女を描いた「うたかたの日々」は、発表当初は全く注目されることがなかったが、ボリス・ヴィアンの死から数年たち、サルトルやボーヴォワール、コクトーなどの支持もあって、1960年代後半のフランスで熱狂的なブームを巻き起こす。パリ五月革命に象徴される、自由を求める時代の気運も後押ししていただろう。すべてのルールと理論を拒否し、自由自在な言語表現に徹したのが彼の文学だった。

映画『男と女』での成功とほぼ時を同じくして、1966年にサラヴァ・レーベルを設立したピエール・バルーも、コラン青年のように、純粋で美しいものを愛し、サンジェルマンのクラブ「タブー」でトランペットを吹いていたボリス・ヴィアンのように、ジャズと恋を信奉する表現者だ。1960年代末から1970年代前半にかけて、サラヴァのスタジオには自由な試みに満ちた表現を志向するアーティストたち、特に多くのジャズ・ミュージシャンが活発に出入りした。ピエール・バルーはまた、ボリス・ヴィアンがフランスで初めて、まだ評価の高くなかったレイモンド・チャンドラーの翻訳を手がけたように、未知だったアフリカやブラジルの才能ある音楽家を招き入れた。そこで起きた一期一会の奇跡、生み落とされた純度の高いスピリチュアリティーの結晶は、サラヴァの誇るべき貴重な財産であると同時に、末永く未来の音楽ファンに受け継がれるべき秘宝だ。瞬間と永遠、ジル・ドゥルーズの時間論ではないが、そんな言葉が心をノックする。
それはまるで、1950年代のサンジェルマン=デ・プレで起こった人と芸術にまつわる多くの出逢いの記憶が、そのままモンマルトルに継承されたようにも感じられる。例えば、サルトルら実存主義者たちがこの地のミューズと定義したジュリエット・グレコのきらめき。そのグレコと恋に落ちたパリ在住時のマイルス・デイヴィス。マイルスとルイ・マル監督による映画『死刑台のエレベーター』。その2年後に作られ、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズがテーマ曲を演奏した映画『危険な関係』。そこでのヒロイン、ジャンヌ・モローの愛人役はボリス・ヴィアン……。そんな自由で刺激的な群像を可能にした精神性が、パリ5区からセーヌ河を渡り、18区モンマルトルにあるサラヴァのスタジオに新たに宿った、とも言えるのではないだろうか。

小説の「うたかたの日々」は、前半は透明で優しく幸福なファンタジー、後半になるにつれて少しずつ物語は突き刺さるような痛切さを増していくが、コンピレイション『サンジェルマン、うたかたの日々。』では、そうした光と影のコントラストが移ろう時間軸を逆に構成している。オープニングは、タブラとチェロとチェンバロのヒップなアンサンブルが孤高の佇まいを見せるバロック・ジャズ・トリオ。スティーヴ・レイシーのフリー・ジャズで始める、というアイディアにも一瞬駆られたが、やはりこの「Dehli Daily」こそ、1曲目に相応しい毅然たる風格を備えている。
2曲目は『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』にも収めたボリス・ヴィアンの詩を朗読するアルバム『En avant la Zizique』からのミシェル・ロックを再び、とも考えたが、ジョルジュ・アルヴァニタによるジョン・コルトレーンへのオマージュ「Trane’s Call」。このヨーロピアン・ジャズの気品とコルトレーンの精神的遺産が放つ芳香は、ミシェル・グライエの奏でるリリカルで繊細なメロディーと、光を帯びるように生命感をたたえていくピアノ・タッチへ引き継がれる。月明かりにきらめく川の流れのような、ブラジルの夜に思いを馳せたくなるボサ・ジャズだ。
さらにこのコンピの最初のハイライトと言えるような、気高いサラヴァのピアノ・ジャズが続く。ルネ・ユルトルジェの「Moment’s Notice」は、もちろんコルトレーン不朽の名作の素晴らしいカヴァー。ファラオ・サンダースが歌入りで颯爽とリメイクしていたのも忘れられないが、躍動感と輝き、艶っぽい吸引力さえほとばしる唯一無二の絶品だ。
ジョルジュ・アルヴァニタ/ミシェル・グライエ/モーリス・ヴァンデ/ルネ・ユルトルジェの4人のピアニストが一同に会して競演した「Suite pour 4 pianistes」は、まさにサラヴァ・ジャズの真髄だ。ヴァイブが入る瞬間にもしびれる、めくるめく名演。かつてレコード・ガイド「Suburbia Suite」で紹介したマニア垂涎の5枚組LPのクライマックス、と言ってもいいだろう。
フランシス・レイが作曲したピエール・バルーによるスウィンギーな「On n’a rien a faire」は、60年代らしいオルガン・サウンドも効いていて、モッド・ジャズ的なニュアンスもスリリング。ボサ・ジャズのダイナミズムに満ちた“ブラジル・ミーツ・フランス”の金字塔、トリオ・カマラによるバーデン・パウエル「Berimbau」のカヴァーは、どのヴァージョンにも優るほど切れ味シャープに疾走する。やはりピエール・バルー&フランシス・レイの作詞・作曲によるニコル・クロワジーユ「Ne me demande pas pourquoi」は、イントロから60sスタイルのオルガンが印象的な起伏に富んだ進行で、「On n’a rien a faire」を兄とすれば妹のよう。彼女がピエールとの『男と女』でブレイクする前、サンジェルマンのジャズ・クラブで歌っていた姿が脳裏に浮かぶ。10年ほど前に『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』を選曲したときには、セレクションの決定打となったモニック&ルイ・アルドゥベールの「男と女」は、久しぶりに聴いても、その多幸感あふれる洒脱なスキャットと鮮やかな展開に魅せられる。このサラヴァならではの小粋なシングル盤は、今でも僕の宝物だ。
そして続くジャン=シャルル・カポン&ピエール・ファヴルへの鮮烈なスウィッチには、何度聴いても鳥肌が立ってしまう。エクスペリメンタルな緊張感をはらんだチェロとパーカッションのグルーヴ。前衛的なダンス・チューンとしてのヒップな個性は際立っていて、僕が今サラヴァの曲をDJでスピンするとしたらこれだ。お洒落な前曲と後続のアート・アンサンブル・オブ・シカゴがバッキングを務める3曲を結ぶ魔術的な存在感にひどく惹かれる。
『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』をコンパイルする10年前までは、ダンスフロアで最もヘヴィー・プレイしていたキラー・シングルが、マーヴァ・ブルームの「Mystifying Mama」。改めて今聴いても、曲が始まった瞬間から背筋が震える。ファンキーなグルーヴとソウルフルなヴォーカルに、カデット期のマリーナ・ショウを思い浮かべるのは僕だけではないだろう。
続いてもサラヴァ・コレクター垂涎のシングル盤として名高いアルフレッド・パヌー。これは僕もなかなか入手することができなかったオブセッションのような一枚だ。パヌーとアート・アンサンブル・オブ・シカゴという、サラヴァの伝説でしかありえない一期一会、「出会いの芸術」が刻印されている。
そして、ピエール・バルーと並ぶサラヴァの顔と言っていいブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」。僕は以前よりはるかに、寒々しいほどのこの曲の魅力を実感している。アート・アンサンブル・オブ・シカゴを影の主役とする『サンジェルマン、うたかたの日々。』では、これ以上ない流れで聴いてもらえるだろう。そのフルートの音色に耳を寄せていると、どこか遠い、違う世界へと連れていかれる。このコンピレイションのハイライト、僕はかつて間章が寄せた「さらに冬へ旅立つために」という文章を思い出す。
バルネ・ウィランは大学生のとき初めて聴いて(まだサラヴァのレコードはピエールとブリジットしか聴いていなかった頃だ)一発で魅了された、自分にとってシネ・ジャズと深く結びついた、フレンチ・ジャズの代名詞のような存在。「Gardenia Devil」は『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』に収めた「Zombizar」と共に原体験となった、特別に思い出深い曲で、そのブロウもグルーヴも、何とも伸びやかな気持ちにさせてくれる。アフリカでのフィールド・レコーディングとジャズ、という進取のアイディアに富んだバルネに理解を示すサラヴァの気質にも嬉しくなる。
『男と女』でもピエール・バルーと名コンビを組んだフランシス・レイのシングル盤からの「Piano bar」は、僕にパリの街並みをイメージさせてくれる曲で、聴いていると何だか頬ずりしたくなってしまうほど。ちょっとしたフェイクやスキャットにも端正だが人懐こい素顔がのぞく、彼の歌声に頬がゆるむ。60年代前半のフランス映画を愛するように、モーリス・ヴァンデによるラグタイム・ジャズ風味のピアノに耳を傾けていると、「うたかたの日々」でコランが作った、演奏するとカクテルのできるピアノなら、どんな酒が生まれただろう、などと夢想してしまったりするのだ。
ピエール・バルーが惚れ込み、近年のサラヴァを体現する女性シンガーと言ってもいいビーアの作品からは、アンリ・サルヴァドールのペンによる「Eu vi (j’ai vu)」を選んだ。彼の作風に特徴的な南国風味は彼女の歌をリラックスしたアレンジで包み、瀟洒なヴァイオリンの間奏から語りへという流れも、何とも素敵だ。
近年のサラヴァからもう一曲、ピエール・バルーの代表作「Ca va, ca vient」のカヴァーも。ノスタルジックなフランスの午後を思わせる、エリック・ギィユトンらしい誠実なアプローチに好感を抱く。クラシックの練習曲のように響く朴訥としたピアノ、家族の会話のようなSEもあって、これもまるでフランス映画のワン・シーンを観ているように心和んでくる。
続く「Les belles nuits」は、ショパンの夜想曲を奏でるピアノをバックにした、ジャン=ロジェ・コシモンによる詩の朗読、というだけなのに、どうしてこんなに涙腺がゆるんでしまうのだろう。『モンマルトル、愛の夜。』に収めた、同じように沁みてくるアラム・セダフィアン「ドビュッシー」もそうなのだが、理由もなくセンティメンタルな思いに駆られてしまう。現代フランス屈指の詩人の魅力を、言葉の意味などわからなくても、僕はこの曲で知った。美しい夜、美しい詩。これもまた、かつてフランス映画で観た気がする、パリの街らしい光景が脳裏をよぎるのはなぜだろう。
最後は僕が21世紀のサラヴァで最も好きな曲を。歌詞もたまらなく好き。詩人ピエール・スゲールの娘だというヴィルジニーのEPから。心洗われる、というクリシェを敢えて使うしかない、美しい女性ヴォーカルとアコースティック・アレンジ。何となく切ない気持ちになる歌とメロディー。柔らかく胸を締めつける、その切なさの成分には、少しだけ甘酸っぱさが含まれているのが清々しい。それでも、何かの映画のエンディングに流れたら、涙がこぼれそうになるかもしれない。

橋本 徹 (SUBURBIA)
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