商品コード: 00003740

Gigi Masin『Wind』

通常価格(税込): 2,547
販売価格(税込): 2,547
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遂にSuburbia Recordsから世界初CD化実現! 近年急速に再評価高まるイタリアの生ける伝説にして名アンビエント・プロデューサーGigi Masinが1986年に発表していた、超に超がつくほどのコレクター垂涎の幻のレア盤ファースト『Wind』が6/1に先行入荷します。ひたすら美しくメランコリックな旋律と音のレイヤーが描く儚くも琴線に触れる心象風景、リリカルで叙情性に富んだメロディアス&ジャジーに揺らめくシネマティックな音像は、まさに“チルアウト・メロウ・ピアノ・アンビエントの最高峰”と言える正真正銘の大名盤。しかもボーナス・トラックとして、コンピ『Good Mellows For Sunset Feeling』で世界初CD化された、トゥ・ロココ・ロット〜ビョーク〜Nujabesなどで名高いメロウ・サンプリング・クラシック「Clouds」の絶品ライヴ・ヴァージョン、Gigi Masin本人が大推薦する『Wind』前後の貴重&内容抜群の未発表レコーディング7曲も追加した全18曲。昨年大きな反響を呼んだアナログ・リイシュー盤とは異なり、マニアには嬉しいオリジナル・ジャケットを使用、“Good Mellows”好きはもちろん、ブライアン・イーノを始めとするアンビエント・ミュージックやポスト・ニューエイジ〜バレアリック・チルアウトの愛好家、ECMのファンや坂本龍一/中島ノブユキ/ゴンザレス『Solo Piano』などを愛するクワイエット・リスナーにまで、スーパー・レコメンドです。アプレミディ・セレソンでお買い上げの方にはもれなく(通販含む)、すでにモダン・アンビエントの神話として語られる1時間を超えるGigi Masinによる昨年の『Live At Superbudda』の模様を完全収録した特典CDと、橋本徹・選曲のスペシャルCD-R『Free Soul ~ 2016 Urban-Mellow』をプレゼント致しますので、お見逃しなく!


Gigi Masin『Wind』ライナー(青野賢一)

トーマス・マンの原作をルキノ・ヴィスコンティが映画化した『ベニスに死す』(1971年)は、非常にコントラストの効いた作品である。タイトルバックのあとに映されるラグーナ(潟)のロングショットも実に美しい本作は、年老いて心臓を患い医師から静養を言い渡されたドイツの作曲家グスタフ・フォン・アシェンバッハが、船でヴェネツィアへとやってくるところから始まる。アシェンバッハは、努力によって美は創ることができると信じている。「美と純粋さの創造は精神的な行為だ」と。一方、友人であり同じく作曲家のアルフレッドは、美は「自然に発生するもので努力とは関係ない」「感覚だけに属するものだ」と主張する。ヴェネツィアを訪れる前、この美に関する論争をふたりは幾度となく繰り返してきた。要はアシェンバッハは堅物、アルフレッドは享楽的であり「邪悪は必要だ。天才の食糧だよ」という考えの持ち主である。そんなアシェンバッハは、ヴェネツィアで同じホテルに宿泊するポーランド人一家の中に蜂蜜色の巻き毛のタージオという美しい少年を見出し、自身の価値観、信念と葛藤を繰り返しながらも惹かれてゆく。「努力とは関係ない」美しさを備えた少年に。

アシェンバッハとアルフレッド、アシェンバッハとタージオというように対照的に描かれる人物たちだけでなく、この映画では生と死もくっきりと表現されている。観光客で賑わうヴェネツィアにはコレラが蔓延し、死者を多数出しているのである。街中には白い消毒液が散布され、またこれも消毒のためにゴミを燃やしているのだろうか、あちこちで焚き火がされている。やがてアシェンバッハもコレラに感染し、見た目の若さを取り戻すためと床屋で勧められた白髪染めに白塗り、口元には薄く紅を差した様相で白いスーツに身を包み、白い砂のビーチでタージオを見つめながら息絶える。この映画では、白は死と結びついた不吉な色なのだ。

一般にいわれるように、『ベニスに死す』は年老いた作曲家がタージオという美少年に魅了され、不可逆的に死へと向かっていく作品ではあるが、少し視点をずらすと、この映画はヴェネツィアそのものを描いているようにも思える。ヴェネツィアも本作同様コントラストが効いているのである。

陣内秀信は、ヴェネツィアを「明るい所と暗い所のコントラストの激しい不思議な街」と称しているが(饗庭孝男、陣内秀信、山口昌男共著、東京書籍刊『ヴェネツィア 栄光の都市国家』「共同討議 ヴェネツィアの魅力とは何か」)、そればかりでなく、水と建築物、あるいは砂と建築物というように、流動的なものや柔らかなものと硬質な印象のものとの対比がここには見られる。ラグーナの上に人工的に作られたヴェネツィアで建築物はどうやって建てられたかといえば、「まず、カラマツまたはカシの杭群を堅いカラント層まで打ち込み、その上にカラマツの板材を並べたテーブル状の台を置き、その上に堅くて海水に強いイストリア(引用者註:イストリア半島)産の石材によって土台を築く。そこから柱または壁が立ち上がる。水に直接触れるのはイストリア石だけであり、木の部分は泥中で鉱化作用を受け、むしろ耐久性を増すのである」(前掲書、陣内秀信「迷宮都市としてのヴェネツィア」)。ちなみに建築物そのものは、荷重を減らすために木が多用され、石は「ファサードや中庭回りの装飾部分に使われるのみで、構造壁にはレンガが用いられた」(「迷宮都市としてのヴェネツィア」)。

なぜ私がここまでヴェネツィアの話を書き連ねてきたかといえば、改めて申すまでもなく本アルバムの作者Gigi Masinが生まれ育ち、今も暮らしているのがヴェネツィアだからである。ウクライナのDJふたりが主宰する音楽のウェブマガジン『krossfingers』にて公開されているGigi Masinのインタヴュー(2013年11月公開)によれば、Gigi Masinにとってのヴェネツィアは、子供たちが水路で泳いでいたところという印象だという。Gigi Masinは1955年生まれだから、もちろんずいぶんと昔の話である。ラジオから流れてくるポップスやロックを聴くのが好きだった少年時代のGigi Masinは、その影響からラジオDJになるという夢を持っていた。70年代のはじめ頃には実際にヴェネツィアのラジオ局で職を得たが、やってみるとこれは自分の仕事ではないと気づき、Zeroというロック・バンドでギターを担当したりしながら、いつか自分のアルバムを出したいと思うようになった。ちなみにギターはThe Whoのピート・タウンゼントがお手本だったということである。そんなところから当初はギタリストとしてのアルバムを夢見ていたが、シンセサイザーと出合ってすべてが変わった。そうして生まれたのがこの『Wind』というファースト・アルバムだ。

1986年に完全にインディペンデントな作品としてリリースされた『Wind』は、プレス枚数が少なかったことに加えて、イタリアのミュージシャンがアンビエントのレコードを作るなんて馬鹿げているという批判も少なくなかったため、発表当時は決して多くの人に聴かれていたわけではなかった。1990年のアレッサンドロ・ピッツィン、アレッサンドロ・モンティとのWind Trioのライヴでは『Wind』からの曲もいくつか演奏されたが、1991年にこのトリオが解散すると、Gigi Masinは音楽に希望を失い、10年もの間音楽から離れることとなり、半ば忘れ去られた存在になっていた。そんなGigi Masinの再評価の契機となったのはTo Rococo Rot、そしてビョークが「Clouds」(昨夏リリースされたコンピ『Good Mellows For Sunset Feeling』に収録され、世界初CD化された。本作には最新のライヴ・ヴァージョンがボーナス・トラックとして収められている)をサンプリングしたことである。これに続いて我が国ではNujabesがサンプル・ソースとして使用したことも追い風になった。そうして楽曲、そして作者であるGigi Masinの存在が、DJやクラブ・ミュージック好きを中心に多くのリスナーの知るところとなったのである。

Gigi Masin再評価の大きなきっかけは先に述べた通りだが、近年のバレアリック~チルアウトというムーヴメントの中で、サンプリング・ソースということから離れて楽曲そのものも評価が高まってきている。『Wind』が制作されたのが1986年ということを考えると、これはなかなか興味深いところである。当時、アンビエント音楽は今のような文脈ではなく、むしろニューエイジ~ヒーリングのような位置付けのものであった。ブライアン・イーノが提唱した、能動的に聴かれないための音楽=環境音楽は、1934年にアメリカで設立されたミューザック社が、もともとは聴かれるべき音楽を耳あたりよくアレンジし商業施設などにBGMとして提供していたことに対する批判めいた態度──エリック・サティが「家具の音楽」でアンブロワーズ・トマとサン=サーンスの曲を引用したのと同質の批判精神──を内包するものでもあったが、80年代あたりは能動的に聴くことでリラクゼーションや場合によっては精神世界への扉を開くニューエイジ~ヒーリング・ミュージックとして機能する(と謳われていた)作品も少なくなかった。では、現在だと例えば歯科医などで流れていそうな音楽とでもいえばわかりやすいそうした楽曲と、Gigi Masinの楽曲とを隔てているものはいったい何であろうか。

『Wind』に収録された曲に通底するのは、ある種の冷たさ、硬質さ、そしてそこから派生する透明感である。計算された妙な親しみやすさがまったくない、と言い換えてもいいだろう。これは1曲目の「Call Me」が、ある女性への「さよならソング」であるということにも多少起因するのかもしれないが、そういった事情を知らずとも、ひんやりとした鉱物性の印象が支配的であるのは間違いのないところだ。柔らかな土地ヴェネツィアでやっていくには硬質なものを上手く使わねばならない。そうしないと波にさらわれたり、あるいは砂に埋もれて潰されてしまう。Gigi Masinは、本能的にそうしたことを理解していたのではなかったか。そう考えると、ヴィスコンティが『ベニスに死す』でヴェネツィアそのものを捉えたのと同じように、Gigi Masinは『Wind』で無意識かもしれないがヴェネツィアの本質的な部分を表現しているように思えて仕方がない。どちらも詩情に溢れ、時代の荒波にもまれても風化しない強さがあるからだ(アシェンバッハはしなやかで「柔」のイメージがあるタージオに侵食されて死んでしまうけれども)。いうまでもなく、ヴェネツィアという都市もまた然りである。


01. Call Me
02. Tears Of Clown
03. Swallows' Tempest
04. Tharros
05. Consequences Of Goodbyes
06. Underwater Current
07. The Wind Song
08. Conversations (From The Milky Way)
09. Celebration Of Eleven
10. The Sea Of Sands
11. Diggi Palace Hotel*
12. Greenskyline*
13. Hiris*
14. Mother Afrika*
15. Silver Wheel*
16. Sunshine Breakfast*
17. Valerie Loop*
18. Clouds*
*Bonus Track
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