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Original Love『Free Soul Original Love 90s』

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Toru Hashimoto Compilation > Free Soul

Free Soul 20周年とオリコン初登場1位を記録した『風の歌を聴け』20周年を記念して実現した超強力タッグ、オリジナル・ラヴの『Free Soul Original Love 90s』が11/5にリリースされます。輝かしい90年代の結晶、「日本のアーティストでは誰よりもオリジナル・ラヴ、すなわち田島貴男のファン」と公言する橋本徹が本能の赴くままに選んだグルーヴィー&メロウな珠玉の名曲・名演群が、2枚組・160分以上にわたって大集合した決定版コンピレイションです。まさにアニヴァーサリー・イヤーのクライマックスを飾るに相応しい、すべての音楽ファン歓喜・待望のプロジェクト。アプレミディ・セレソンでお買い上げの方にはもれなく(通販含む)、橋本徹・選曲のスペシャルCD-R『Free Soul. the treasure of 2014 Autumn』と『Free Soul. the classic of 1994 Shibuya』(2枚組)をプレゼント致しますので、お見逃しなく!


『Free Soul Original Love 90s』ライナー(橋本徹/2014)

オリジナル・ラヴについては、何とも言葉にしがたい。いや、言葉にならない魅力こそ、オリジナル・ラヴなのだろう。2007年に紙ジャケットでリマスター復刻された『風の歌を聴け』のライナーを担当したときは、感情をふりしぼって書いた。人生で最も好きになった日本のアーティストと言ってもいいかもしれない。
それでも一言でその魅力を表すとしたら、タフな音楽だけが持つ輝き、ということに尽きるような気もする。だから聴くと胸がスキッとするのだろう。無条件に心が晴れてゆくような感覚を覚える。強靭で、しなやかにしなる音楽。フィリップ・マーロウが言ったように、「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」のだ。

この『Free Soul Original Love 90s』をコンパイルするに際して、僕が達した結論は、何十年か後のリスナーにも聴かれることを想定して選曲しよう、ということだった。日本のポップ・ミュージックの最前線を走るアーティストが、これほどタフで自由な音楽を鳴らしてくれていたことの恩恵は計り知れない。熱心なファンなら皆が知っている曲ばかりだが、何の小細工が必要だろう。そんな気持ちが沸き上がってきたのだ。
それでも楽曲をリストアップすると、とても2枚組・160分に収まる量ではなかったので、悩みつつも、より90年代の空気が香るものを優先させることにした。田島貴男の奏でる音楽のスピード感を大切にしたい、という意識もあったからか、曲順を組むのは本当にあっという間だった。ピチカート・ファイヴの『ベリッシマ』で小西康陽が「惑星」「誘惑について」(どちらも死ぬほど好きな若き田島貴男の曲だ)と始まる曲順にしたときも、こんな感じだったのではないかとふと思った。ディスク1は目を瞑っていてもできてしまったに違いない。ディスク2のセレクトは、今年の夏の初めに観た、90年代の人気作を積極的に歌ったライヴの影響が、少しあるかもしれない。迷ったのは「接吻」のヴァージョン選択。カットアウトで終わる「The Rover」の後ということで、サビに始まるシングル版を採用したが、Free SoulのDJパーティーではギター・カッティングに始まるテイクをよくプレイしている。

オリジナル・ラヴへの想いは、7年前に書いた『風の歌を聴け』ライナーでさらけだしたつもりなので、今回再録されるその文章をお読みいただければと思う。ひとつだけエピソードを加えるなら、2011年3月のこと。音楽や文化に携わる者の多くが、震災を前に無力感に苛まれていただろうあの頃、僕でさえ音楽を聴くような気持ちになれなかったとき、夜の首都高速をタクシーで走っていて、不意に「流星都市」の歌いだしのフレーズをつぶやいてしまった。節電で普段より穏やかな夜景に、「smile 夜の広がりに散って和らいでゆく この気持ち」という歌詞も、どうしようもなく沁みた。音楽は人の心を救うことができる、と再び音楽の力を信じようと思えた一場面だった。あれから3年以上がすぎて、僕個人はようやく、「もう少しだけドライヴしよう 流れ星を一晩中くぐり抜けて」と前を向いて歌えるようになった。

いつの日も想いは 輝き続ける
いつの日も空に 君の歌が響く



『風の歌を聴け』ライナー(橋本徹/2007)

ちょうど昨年の秋ぐらいから、“90年代カルチャーを検証する”というようなテーマで、その頃の音楽シーンについて取材を受ける機会が何度か続いているのだが、インタヴュアーの質問や献本いただいて目を通す記事の内容に、苛立ちにも似た感情を覚えることが少なくない。状況の分析や評論よりも、好きな音楽の話をしたいだけの僕は、日本のアーティストでは誰よりもオリジナル・ラヴ、すなわち田島貴男のファンであり、彼を最も輝ける星だと考えている。そこがなかなか伝わらない、全くと言っていいほど軽視されていることに怒りさえ感じるのだ。僕はピチカート・ファイヴならいちばんよく聴いたのは田島ヴォーカル時代だし、フリッパーズ・ギターのファンだと公言したことは一度もない。
このライナーノーツは、そういう人間の書く文章だと踏まえて読んでほしい。思い入ればかりが先に立って、多分に主観的な文面になってしまうだろうことは想像できるが、どうかお許しいただきたい。

田島貴男というミュージシャンに衝撃を受けて、気がつけば20年の歳月が経つ。
僕はこの原稿を書くにあたり、どうしても当時の音を聴きたくなり、駒沢の実家に戻り、埃だらけの部屋で古いカセットテープを探した。いけないことかもしれないが、1988年2月と7月の渋谷「ラ・ママ」でのライヴを録音したものが見つかった。
2月の方は確か、同じ日に「エッグマン」であがた森魚のライヴがあり、友人たちはそちらに行ってしまったので、ひとりで出かけた。なぜ憶えているかと言えば、会場にその晩、小西康陽の姿があったからだ。あのあと田島くんにピチカートに入ってほしいと頼みに行った、と後に聞いて、学生時代の僕にとってこの日は伝説の一夜となった。いま古ぼけた音質で流していても、「ORANGE MECHANIC SUICIDE」や「Mr. BIG ROCK」を初めて聴いた頃の、身震いするようなフレッシュなときめきが生々しくよみがえる。僕は完全にオリジナル・ラヴに夢中になっていた。
7月の方はインディー盤『ORIGINAL LOVE』の発売記念ライヴで(対バンはワウワウ・ヒッピーズ)、僕もその場で買えるものと楽しみに出かけたが、レコードが間に合わず、「頼むよ、VIVIDの広川さんだっけ?」なんてMCが懐かしい。そして明らかにパンク~ニュー・ウェイヴやネオGSを通過したステージングながら、ダン・ヒックス「Walking One And Only」やナット・キング・コール~ジョン・ピッツァレリ「Hit That Jive Jack」をカヴァーする洒脱なセンスにやられる。アンコールはもちろん、あの『ATTACK OF MUSHROOM PEOPLE』のガレージ・ヴァージョンでも抜群に光っていた「TALKIN' PLANET SANDWICH」の弾き語り。一緒に観に行った女友だちの瞳が潤んでいたのが忘れられない。

その年の秋には、田島貴男はピチカート・ファイヴのヴォーカリストとして、「クラブクアトロ」の舞台に立つ。紛れもない“天才少年”として。当時の僕には、彼は天才を通り越して、違う星からやってきた宇宙人のように見えた(特にオリジナル・ラヴのライヴでは)。生意気で自尊心が強く傷つきやすいばかりで、自分は他人と違うと思いながらも何も形にできない青春の季節をすごしていた僕(1966年4月生まれB型だ)にとって、あまりに眩しく、突き抜けていた。まるで別の次元にいる存在のように。後にも先にも、同世代の人間にこういう感覚を味わったことはない。
それから1年半ぐらいの間(つまり大学を卒業するまで)、東京でのオリジナル・ラヴの公演はほとんど観逃さなかった。やはり自分のバンドでの方が、伸び伸びと自由奔放で、精彩を放って見えた。それは田島貴男の音楽が、目に見えてソウル・ミュージックの影響を色濃くしていった時期でもあった。レッド・カーテン以来のシャープな身のこなしとハイ・テンションの展開に、たくましいダイナミズムとぞくぞくするようなエロティシズムをも滲ませるようになっていた。
アメイジング・ソウル・ブラザーズと名乗って、青山陽一とアコースティック・デュオで登場するイヴェントにも、欠かさず駆けつけた。そのたった十数分の出番のために。彼がアルバイトをしていた中古レコード店にも、よく顔を出すようになった。ステージでは宇宙人のように冴えまくりなのに、意外とシャイで人見知りなのか、僕がカーティス・メイフィールドのプライヴェイト盤を手に取ると、「それはとても珍しいレコードなんですよ」と不器用そうに(嬉しさを照れ隠しているようにも見えたけれど)薦めてくれたのが印象深い。それから僕らは5分ほど、最近のライヴやソウル・ミュージックの話をした。

その頃には「DEEP FRENCH KISS」や「夜をぶっとばせ」も新曲として披露され(まだ歌詞や曲タイトルはなかったが)、メジャー・デビュー作の主だったレパートリーは、ほぼ出揃っていた。ピチカート・ファイヴからのフィードバックもあったのか、「勝手にしやがれ」風の映画音楽やジャズやジャイヴのエッセンスも盛り込まれ、オリジナル・ラヴのパフォーマンスは、ショウとしてのエンターテインメント性をめざましく高めていた。フリッパーズ・ギターが頭角を現した89年の後半には、田島貴男の周辺、音楽業界やマス・メディアが俄かに騒がしくなっているのは、いちファンにすぎない大学生にも一目瞭然だった。メンバー・チェンジが進み、それまで見かけなかった関係者の顔も急激に増えた。ブレイクは時間の問題だったが、若き日の僕はかなりのピュアリストだったのか、一方的に自分たちのものだと思っていたヒーローが、華やかな世界に搦めとられていくようで、寂しいような、複雑な気分になったりもした。
それにしても、その2年間の田島貴男の歩みは、恐るべしと言うか、奇跡的(超人的)な吸収力と成長力、と同年齢の僕には映った。毎回ライヴのたびに、そのスピード感を目の当たりにできる歓びに心が躍った。自分は“歴史”の目撃者なのだ、そんな興奮に包まれた。そしていま、その証言者となれたことを嬉しく思う。もちろん彼の後のキャリアを見渡せば、まだまだトップ・ギアではなかったと知り、さらに驚愕させられることになるのだが。

つい昔話が長くなってしまった。90年代に入って、メジャー・デビュー以後のオリジナル・ラヴについては、このCDを手にされている皆さんなら、きっとある程度ご存じのことだろう。華麗なる2枚組アルバムでの登場。その後もイギリスのDJカルチャーに端を発して隆盛を極めたアシッド・ジャズとも共振しながら、クラブ・シーンとポップ・シーンを鮮やかに行き来する活動で、順調にスマッシュ・ヒットを飛ばし続けていく。
僕にはわずかな違和感がないとは言えなかったが、お洒落だとかスタイリッシュだとか、イメージの曲解も手伝ってみるみる売れていくアーティストの、(パンクでファンクな)本当の魅力を知っているのは自分だけ(それもまた誤解だったりするのだが)、という気持ちでかげから応援していた。デビュー・アルバムが出た直後、小西康陽が「天才のやることに四の五の言っちゃいけないのだ」と連載コラムに書いていたが、箴言だと思う。少なくとも、許しがたいセンスの音楽ばかりが多くの人に受け入れられている、と大学生だったバンド・ブーム~ユーロビート期に憤りを感じていた僕には、オリジナル・ラヴのコマーシャルな成功は新しい時代の幕開き、希望の星に違いなかった。
そして93年末だったろうか、稀代の傑作シングル「接吻」が大ヒット。僕はやっとここに至り、「田島貴男・本領発揮!」と溜飲を下げた思い出がある。ほんのわずかだが気になっていた違和感が消えたのだ。そこには正真正銘の力強さ、生身の彼らしさが濃密に漂っていた。

そうした期待高まる機運を背景に、94年に生まれたのが、この『風の歌を聴け』だ。「充実!」のひと言に尽きる、日本のポップ・ミュージックがひとつの到達点に達したことを感じさせる、堂々たる名盤の誕生(しかも確かオリコン初登場1位)。アルバム・タイトルも爽快だが、ソウルフルな肉体性に裏打ちされたリズム/メロディー/歌から“充実”が満ちあふれ、零れ落ちるような、“ほとばしる”“みなぎる”という感覚。バネの効いたボクシングのようにしなり、弾み、躍動するサウンドと、生き生きと息づき、艶めき、色づくヴォーカル。何だか勝手に身近だと思っていた存在が、とんでもない高みに昇りつめた、そんな印象を受けた。溌剌として胸に迫るその音楽を聴いていると、わけもなく何かに向かって走りだしたくなった。

とりわけ前半の圧倒的な素晴らしさは特筆すべき。敢えて個人的に思い入れ深い、愛してやまない曲を挙げるとすれば、「The Rover」と「フィエスタ」だ。前者は同じ94年にスタートした僕らのクラブ・パーティー“Free Soul Underground”で何度プレイしたかわからない、腰に来る完璧なファンキー・ミュージック。先月のイヴェントでも久しぶりにかけたら、イアン・オブライアンのコズミックな変拍子ファンク「Natural Knowledge」と絶品の相性を示し、フロアが燃え上がった。後者もDJプレイしてオーディエンスと大合唱になった震えるような光景がまぶたに焼きついて離れない、魂を呼び起こされるような祝祭歌。心の奥深いところまで響き、染みわたり、かつ音楽の至福があふれだすこの曲に、人間を感情的に同化させる感動的な力が宿っている、と初めて実感した北海道のかけがえのない夜を、僕は一生忘れることがないだろう。
他の曲もどれも最高だが、灼けた夏を惜しむような「二つの手のように」の歌いだし、最初の一声が僕には特にたまらなく、何度も繰り返し聴いてしまう。ファルセット・ヴォイスの「It's a Wonderful World」も、初めて聴いたときから感嘆し、その尽きることのないチャレンジにしびれた。各曲の印象を語り始めるときりがないので止めておくが、僕はシングル曲「朝日のあたる道」で田島貴男が“強すぎる風が今は心地よい”と歌うフレーズに、“Free Soul”の旗を上げたばかりだった自らの心情を託したことも、鮮烈に思いだす。それはもちろん、彼自身の心象でもあったはずだが、その94年夏の瑞々しい記憶が、このアルバムに永遠の眩しさをもたらしている。確かに僕は、そこに風の歌を聴いたのだ。

翌95年春、ある雑誌の企画で、“My Favorite Japanese Disks”というアンケートを頼まれたとき、僕は迷うことなく真っ先にこのアルバムをリストアップした。そして「オリジナル・ラヴの田島くんの音楽に対する純粋な執念みたいなものに感動しました。彼のようなミュージシャンがいるのは同世代の誇りです」とコメントを寄せた。その気持ちはいまも全く、そしてこれからもずっと変わらない。彼がクリエイティヴ面ですべてのイニシアティヴを握るエポックになったと思われる(そしていわゆる“渋谷系”に引導を渡したと捉えることもできる)のが『風の歌を聴け』だが、それ以降の獅子奮迅の活躍についても、いつかどこかで思いを述べる機会に恵まれたら、田島貴男と同時代を生き、音楽の仕事に携わる者としてどんなに幸せだろう、と僕はこの文章を書き上げたいま、改めて考えているところだ。



Free Soul Original Love 90s [DISC 1](waltzanova)

01. The Rover (『風の歌を聴け』 1994)
のっけから圧倒的なテンションにノックアウトされる、ソリッドなファンク・チューン。田島貴男が大好きだというスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「In Time」にも似た興奮の戦慄が、聴くたびに背筋を走る。ベース・ラインやワウ・ギターは、レア・グルーヴとして“発見”されたアーチー・シェップのフリーキーな「Attica Blues」、それをアダプトしたガリアーノの「Jus’ Reach」などからヒントを得ているのかもしれないが、完全にオリジナルなものに昇華されている。生きることを「果てなく堕落の道を歩もう」というパンチラインで肯定する歌詞も最高。オリジナル・ラヴのみならず、日本のソウル/ファンク・ミュージックのひとつの到達点だ。

02. 接吻 kiss (シングル 1993)
オリジナル・ラヴ=田島貴男の代名詞と言って異論はないだろう、究極のアーバン・メロウ・グルーヴ。サビの歌い出しから一気に掴まれ、ホーン・アンサンブルやギターの刻みが入ってくる部分では、物語の主人公になったような気分になる。サウンドの完成度、メロディーと声質のマッチングなど、何度も繰り返し聴きたくなる中毒性と官能性。何よりも田島のコクのあるヴォーカルが素晴らしい。狂おしい刹那の愛を求める、田島のソウルフルな歌が、この曲のスケールを一回り大きなものにしている。「焼けるような戯れの後に 永遠に独りでいることを知る」という歌詞には、田島貴男という人間の本質が表れている。カヴァーでは中島美嘉のラヴァーズ・ロック・ヴァージョンがよく知られているが、鈴木雅之の最新カヴァーも特筆すべきで、原曲に忠実なアレンジのもとで歌われるゴージャスな世界は一聴の価値あり。動画サイトでは横山剣(クレイジーケンバンド)とのデュエット・ヴァージョンも聴くことができる。熱心なメロウ・ビーツ・ファンなら、橋本徹・選曲の『Chill-Out Mellow Beats~Harmonie du soir』に収録された、ジュリアン・ダイン「Fallin' Down」〈Mitsu the Beats Remix〉を連想する人もいるかもしれない。ここではサビ始まりのシングル・ヴァージョンが選ばれている。「自分の考える良質なポップスを作りたい」という田島が持ち続けてきた思いは、この曲のヒットで実現したが、それは日本のポップス史における幸福な瞬間でもあった。

03. 月の裏で会いましょう (シングル/『結晶 SOUL LIBERATION』 1992)
セカンド・アルバム『結晶』は、当時流行していた、イギリスのアシッド・ジャズ~レア・グルーヴ・ムーヴメントの影響が色濃い一枚だった。アシッド・ジャズは同名レーベルやトーキング・ラウドのアーティストが知られ、ジャミロクワイはそこからオーヴァーグラウンドになったアーティスト。深夜ドラマ「バナナチップス・ラヴ」のテーマ・ソングとしてスマッシュ・ヒット、メジャーでありながらスタイリッシュ(先鋭的でオシャレ)、というオリジナル・ラヴのイメージを決定づけた曲だ。打ち合わせのときに「サビ始まりにしてよ」とドラマのプロデューサー高城剛が注文をつけたというエピソードは、川勝正幸の『The Very Best Of Original Love』のライナーによって広く知られることになった。

04. サンシャイン ロマンス (シングル/『EYES』 1993)
陽光降り注ぐもと、海沿いのドライヴにぴったりのグルーヴィー・チューン。FMから流れてきたら、思わずアクセルを踏み込んでしまいそうだ。耳を掴まれるイントロのフレーズは、フィフス・ディメンション「It's A Great Life」から。『EYES』の先行シングルとしてリリースされたこの曲を聴いて、よりポップス・バンドへと大きく一歩を踏み出した、という印象を抱いたのを思い出す。この曲と同年の1993年はピチカート・ファイヴ「Sweet Soul Revue」、コーネリアス「太陽は僕の敵」「Perfect Rainbow」、ラヴ・タンバリンズ「Cherish Our Love」、翌年にはカヒミ・カリィ『Girly』、小沢健二『LIFE』、SMAP「がんばりましょう」がリリースされ、並べてみると“渋谷系ソウル”の季節だったのだなあ、と改めて思う。田島がゲスト・ヴォーカリストとして参加した松任谷由実の「太陽の逃亡者」(『VIVA! 6×7』収録)は、この曲の異母兄弟のような曲想を持つ。

05. 夜をぶっとばせ (『LOVE! LOVE! & LOVE!』 1991)
ピチカート・ファイヴ在籍時のアルバム『女王陛下のピチカート・ファイヴ』に収録されていた曲の再演版。ピチカート版がブラスやエコーを効かせたオーケストラ風のサウンドだったのに比べ、バンド・サウンドを前面に出した本ヴァージョンでは、疾走感やロック感が増している。田島のヴォーカルも生々しい。タイトルはローリング・ストーンズの1966年の曲の邦題から。小西康陽による歌詞は、彼の嗜好を反映して映画的なイメージが強い。小西・演出による田島・主演のキャラクター・ソングという趣で、女性ファンはもちろん、男性ファンの支持も高い。

06. フィエスタ (『風の歌を聴け』 1994)
ドクター・ジョンの名盤『Gumbo』でロック・ファンにも広く知られるようになったセカンド・ライン・ビートに乗せて、田島のてらいのないヴォーカルは、「Celebrate your life」というテーマを力強くシャウトする。田島は「賛美歌のようなイメージで曲を作った」「最高にヘヴィーなときとか、参っているときでも聴けるようなタフな曲を作りたかった」と語っている。フリー・ソウルのDJパーティーでは、かけられると毎回大合唱になるという、アンセム的な役割を担っているナンバー。この曲のニューオーリンズ・ビートやサンバ、それにソウル、ジャズ、ファンクなど、多彩な音楽的イディオムを内包した『風の歌を聴け』は、オリジナル・ラヴがそれまでめざしてきたことが頂点を極めた瞬間の記録だった。

07. 朝日のあたる道 (シングル/『風の歌を聴け』 1994)
歌詞の通り、新しい始まりを祝福するかのような、清々しさに満ち溢れたラヴ・ソング。『風の歌を聴け』のラストに置かれていた珠玉の一曲は、そのアルバムで田島が理想の音楽を鳴らすことができたことへの喜びと感謝を歌っているかのよう。リスナーにもその感情は伝わり、僕は大学生のときに初めて聴いたときには、何か生まれ変わったような気分になったものだった(笑)。橋本徹も『風の歌を聴け』にそのような興奮を味わった一人で、彼が編集長を務めていたタワーレコードのフリーマガジン「bounce」は、彼らを表紙に取り上げた。これは日本のアーティストとしては初めてのことだったという。

08. DEEP FRENCH KISS (シングル/『LOVE! LOVE! & LOVE!』 1991)
記念すべきメジャー・デビュー・シングル。イントロのギター・フレーズは、フリー・ソウルでも人気抜群のアル・クーパー「Jolie」から。「接吻」にも似たようなフレーズがあり、無意識的に「Jolie」がイマジネイションに訴えたものの大きさがうかがえる。アルが自己の内面を吐露したアルバム『Naked Songs(赤心の歌)』も、90年代以降ニュー・スタンダードの仲間入りを果たした。ジャジーなコード進行、夜の雰囲気を漂わせたクールな佇まいなど、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴとはまた違った、アダルトな魅力を持ったニュー・ヒーローの鮮烈な登場だった。

09. ヴィーナス (シングル/『結晶 SOUL LIBERATION』 1992)
夏の終わりの光景を描き出した、陽炎を見ているような感覚におそわれるメロウ・チューン。甘美なメロディーは聴くほどに味わいを増す。粒立ちのあるベース音には、マーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドなどの曲で聴ける、70年代初頭のニュー・ソウル感あり。作詞はキーボードの木原龍太郎が手がけている。この曲をはじめ、「月の裏で会いましょう」「サンシャイン ロマンス」など、一時期までのシングル曲の歌詞は木原によるものが多く、音楽的にもパートナーシップを築いていた。

10. 流星都市 (『RAINBOW RACE』 1995)
『RAINBOW RACE』期は、ポップスの探求が日本のそれにも強く及んだ時期で、田島は雑誌「月刊カドカワ」で山下達郎との対談も行っている。彼が惹かれていたのは山下や大貫妙子が在籍していたバンド、シュガー・ベイブに代表される、主に70年代のシティー・ミュージック。細野晴臣や鈴木茂が結成したセッション・ユニット、ティン・パン・アレイが全面的にバックアップした1975年の(ソウルフルな)傑作、小坂忠の『ほうろう』に同名の曲があり、それがインスピレイションの源となったのかもしれない。優しい気持ちに包まれる、ロマンティックなメロウ・ナンバー。歌詞の通り、夜の首都高速で湾岸方面を走りながら聴くと感興もひとしお。

11. DEEPER (『EYES』 1993)
吉田美奈子を作詞/コーラスに迎えた、夏の夜の熱気がからみつくようなスウィート・ソウル。吉田美奈子は、デビュー当初はローラ・ニーロの色濃い作風のSSWだったが、次第にブラック・ミュージックに接近、『MONSTER IN TOWN』は、まだ日本では珍しかったファンクを血肉化した記念碑的作品。一方、RCA時代の山下達郎作品の作詞を手がけ、そこで描かれた世界や言語センスも定評が高い。この曲で得た自信が、「接吻」へとつながっていくと思うと興味深い。その意味で、これは田島のポップス巡礼の旅のひとコマと言えるだろう。作曲はメジャー・デビュー時のメンバーで、2014年に亡くなった名ドラマー、宮田繁男による。

12. 夢を見る人 (シングル/『RAINBOW RACE』 1995)
跳ね感が心地よいドラムに的確なラインをなぞるベース、フィリー・ソウル的なニュアンスも感じさせるストリングスが、ポップスとしての洗練を感じさせる。田島らしい、まだ見ぬ理想を追い求める心境を綴った歌詞も印象的だ。話題に上ることは少ないかもしれないが、普遍性のあるポップスを作り出すことを目標としていたオリジナル・ラヴのシティー・ミュージックとしての名曲のひとつ。その憧れは、『RAINBOW RACE』リリース後の1995年末のライヴで、鈴木茂の「ソバカスのある少女」をオープニングで、アンコールでは「砂の女」を演奏したことにも表れている。

13. LOVE VISTA (『LOVE! LOVE! & LOVE!』 1991)
マーヴィン・ゲイ「Inner City Blues」を連想するベース・ラインが用いられた、真夜中のムード漂う長尺のセンシュアルなナンバー。ラリー・ハードによるハウス・ヴァージョンも発表された。『LOVE! LOVE! & LOVE!』は井出靖のプロデュース。井出は自らの人脈とセンスを活かし、メンバー全員がスーツに身を包み、アートワークはC.T.P.P.の信藤三雄を起用するというヴィジュアルを展開、またクラブ・シーンとの接点を感じさせるスタイリッシュな打ち出しを行って、初期オリジナル・ラヴのイメージを作る上で大きな功績を果たした。長身にスーツを着こなす田島のスタイルやキャラクターは、今見ても本当にカッコいい。

14. ORANGE MECHANIC SUICIDE (『LOVE! LOVE! & LOVE!』 1991)
2枚組だった『LOVE! LOVE! & LOVE!』のラストに収められていたのは、インディーズ時代のアルバムの曲の再演版。現在のオリジナル・ラヴのイメージからすると、自殺をテーマにした歌詞も含めて意外に映るかもしれない。が、もともと田島はパンク~ニュー・ウェイヴを経由してソウル~ポップス的な音楽性へとたどり着いた人物。一度屈託した上でのものごとの肯定。だからこそ彼の音楽は、いつでもタフさとカッコよさを持っているのだと思う。インディーズ時代の『ORIGINAL LOVE』は、前身のレッド・カーテン時代の音源も含め、2011年に総括的にリイシューされている。


Free Soul Original Love 90s [DISC 2](waltzanova)

01. ブロンコ (『RAINBOW RACE』 1995)
Tokyo No.1 Soul Setがアイズレー・ブラザーズ・ヴァージョンの「Love The One You're With」を「黄昏 '95~太陽の季節」でサンプリングしたり、前年にマザー・アースが『The People Tree』をリリースしたりするなど、1995年は音楽シーンで“フォーキー”が何かとキーワードになっていた時期。田島もそこに反応するかのように、『RAINBOW RACE』の冒頭でスティーヴン・スティルス「Love The One You're With」にインスパイアされた切れ味鋭いフォーキー・グルーヴを披露している。ゴスペル的な高揚感に満ちたサビも最高。歌詞は野性の牡牛に対峙する闘牛士と、週末の喧騒に身を投じる主人公を重ね合わせたそう。

02. LET'S GO! (『EYES』 1993)
『Free Soul Visions』にも収録されていたギル・スコット・ヘロン「Angora, Louisiana」を、よりワイルドにした感じのジャズ・ファンク・チューン。田島のタフに生きることの覚悟を表したマニフェストとでも言うべきリリック、高い演奏力に加えて卓越した構成力と、リアルタイムで聴いたときは彼らがまた新たなフェイズに突入したことを感じさせた(その試みは「The Rover」で頂点を極める)。前作『結晶』の「心理学」、「The Rover」「ブロンコ」など、オリジナル・ラヴには1曲目にカッコいい曲が多い、というのはファンの間では常識となっている(?)話である。

03. スキャンダル (『結晶 SOUL LIBERATION』 1992)
『結晶』期のサウンドを象徴するようなグルーヴ(ドラムにそれが顕著だ)を持つジャズ・ファンク・チューン。ちょっとニヒルな田島の表情もクール。90年代初頭に英国でブームとなったアシッド・ジャズは、60~70年代を中心としたジャズ・ファンク~ソウル・ジャズのリヴァイヴァルという、温故知新的な文脈のアップデイト版と位置づけられる。オリジナル・ラヴは、その代表的なアーティストであるブラン・ニュー・へヴィーズを招いたリミックス・アルバム『Sessions』や12インチ音源もリリース、また「MILLION SECRETS OF JAZZ」というタイトルのイヴェントもDJ BAR INKSTICKでU.F.O.と行うなど、アシッド・ジャズ~クラブ・シーンとの近接性を強く感じさせていた。

04. GIANT LOVE (『LOVE! LOVE! & LOVE!』 1991)
リズムにはボサノヴァ的なニュアンスを持った、アコースティックなグルーヴィー・スウィート・ソウル。歌詞にはちょっとセクシャルなニュアンスも。ピチカート・ファイヴが田島貴男を迎えてソウル・ミュージックにチャレンジした『ベリッシマ』では、“スモーキー・ロビンソン的なるもの”がキーワードだったとか。「汗知らずスーパー・スウィート・ソウル」を謳った、その『ベリッシマ』は、「惑星」や「誘惑について」など、田島のソウルフルな才能が花開いた名曲も多い。初期のオリジナル・ラヴは、アレンジにフルートやヴィブラフォンなどが用いられることが多く、洒落た感覚の演出に貢献している。

05. フレンズ (『結晶 SOUL LIBERATION』 1992)
田島のソウル・ミュージックへの研究が結実を見せた、幸福感を滲ませるミディアム・メロウ・ナンバー。前曲同様にスモーキー・ロビンソンやフィリー・ソウル、マッシヴ・アタックもカヴァーしたウィリアム・ディヴォーンなどのソフト・サウンディングなソウル(“渋谷系ソウル”という呼称もありましたね・笑)にヒントを得たと思われるサウンドだ。田島の貪欲な音楽的関心は、サメのようにひたすら前進していくが、その探究心ゆえに、音楽に対する無償の愛情や、その本質を掴んだときの興奮がヴィヴィッドに、そしてしなやかに息づいているのだと思う。

06. 微笑みについて (シングル「接吻 kiss」c/w 1993)
これまた幸せなヴァイブレイションに溢れた、グルーヴィーなブラジリアン・ソウル・ナンバー。サブタイトルにもなっている「Look At Me, Look At You」は、『Who Is This Bitch, Anyway?』や『The Spice Of Life』がフリー・ソウルでも人気の歌姫、マリーナ・ショウの『Sweet Beginnings』からの引用。曲調も、それを参考にしているようだ。当時のオリジナル・ラヴの音楽には、イギリスや日本を中心としたレア・グルーヴ~DJ的視点からのリスニングへの目配りが自然にされており(田島の音楽好きとしてのアンテナゆえだ)、そのあたりもファッションやカルチャーにも高感度な音楽ファンの支持を受ける理由だった。

07. 二つの手のように (『風の歌を聴け』 1994)
木原龍太郎の奏でるエレクトリック・ピアノの音色が波紋のように広がり、ホーンは海からのそよ風を運んでくるような、メロウネスここに極まれりのサマー・サンセット・クラシック。浮かび上がる二つのシルエットは、理想的な愛の形を共有した恋人たちのそれだ。ホーン・アレンジには、当時田島が心酔していたカーティス・メイフィールドの影響が。田島はこの曲を作る際、荒井由実のデビュー・アルバム『ひこうき雲』中の「きっと言える」を意識したそうで、曲の持っている風景に共通するものがある。

08. Words of Love (シングル/『Desire』 1996)
雨上がりの空に溶けていく、いとしさを抱きしめるように柔らかな手触りのポップ・チューン。気持ちがほどけていくようなサビの旋律も素晴らしい。シンプルな曲ゆえに、メロディー・ラインを幾度となく書き直したという。スライド・ギター・ソロには、『バンド・ワゴン』やハックルバックの活動などが知られる日本のロック・レジェンド、鈴木茂の影響が感じられる。鈴木は『RAINBOW RACE』収録のアーシーなスワンプ・ロック・ナンバー、「ダンス」にゲストで参加、強烈なスライド・ギター・ソロを決めており、田島に多大な刺激を与えたのではないだろうか。

09. 青空のむこうから (『Desire』 1996)
1996年の『Desire』は、民族音楽やワールド・ミュージックなどへの関心が反映された作品だったが、田島は「東京という街が世界中のさまざまな文化を飲み込んでいるように、多様な音楽的要素を持った東京の音楽を作りたい」という大意のことを語っていた。この曲もインドのウードを用いた出だしから始まり、サビではアコーディオンの音色がフィーチャーされる。しかし、根本にあるのは、歌詞にも表れているような、田島らしい力強くポジティヴなソウル。ロック的なパッションを宿したCメロにも心を揺さぶられる。『Desire』には、他にもシタールや三線を取り入れたアレンジの曲が並んでいて、そのハマったら一直線! なB型ぶりが、ファンとしては微笑ましくもあった(笑)。

10. 羽毛とピストル (『L』 1998)
美メロと田島の官能的なヴォーカルを堪能できる、ため息がこぼれ落ちるようなソウル・バラード。マーヴィン・ゲイやスモーキー・ロビンソンといった、スウィート・ソウルの偉人たちの名前が脳裏に浮かぶ。ライヴとリミックスで構成された『XL』収録の「羽毛とピストル readymade bellissima '99 mix」では、久しぶりに小西康陽とのコラボレイションが実現、双方のファンを歓喜させた。小西のフェイヴァリット・テイストであるアーチー・ベル&ザ・ドレルズ「Tighten Up」や、ダイアナ・ロス&ザ・シュプリームス「He’s My Sunny Boy」風のノーザン・ソウル・ナンバーに変身していて(ヴォーカルも新録)、こちらも必聴だ。

11. 水の音楽 (『L』 1998)
田島が過去の音楽遺産へのリスペクトを常に忘れないアーティストというだけでなく、同時代音楽にも雑食的な関心を持っていることはファンにはよく知られている話だが、『ELEVEN GRAFFITI』を経た『L』は、テクノ~ドラムンベース的、さらには現代音楽までも視野に入れたサウンドへの関心が前面に出た意欲作だった。これは人力ドラムンベースとでも言うべき山木秀夫の繰り出すリズムの上で、麗しいストリングスが舞い踊る、実験精神が見事に結晶した美しいナンバー。その試みは次作『ビッグクランチ』で、ひとつの大爆発を起こす。

12. アイリス (『ELEVEN GRAFFITI』 1997)
キャロル・キングやジェイムス・テイラー、トッド・ラングレンなど、ソウル・ミュージックの影響色濃い70年代のSSW作品という雰囲気のミディアム・バラード。帰るべき場所がある女性との逢瀬を描いた、ビリー・ポール「Me And Mrs. Jones」などを思わせる、切ない不倫ソング。ヴィンテージ感たっぷりのアコースティック中心の編成をバックに、実にふくよかで味わい深いヴォーカルを聴かせる。70年代から活躍を続ける“Dr. K”こと徳武弘文がギターを担当、アウトロでは歌心に満ちた名人芸のソロを披露している。

13. プライマル (シングル/『Desire』 1996)
60年代モータウンで活躍したソングライター・チーム、H=D=Hのラモン・ドジャーがインヴィクタスから出したソロ・アルバムに収められた「Why Can't We Be Lovers」へのリスペクトがよく伝わる、感涙のソウル・バラード。荘厳さを感じさせるヴァースを経て永遠の愛が誓われるサビへの展開は、ソウル・ミュージックの王道的な構成だが、だからこそ宿る説得力がここにはある。田島の情感に満ちた歌いっぷりが、リスナーの心をしっとりと濡らす。47.1万枚を売り上げたこの曲が、オリジナル・ラヴ史上最も高いセールスを記録した曲であるが(ちなみに「接吻」は36.3万枚)、パンク~ニュー・ウェイヴから出発したオリジナル・ラヴが、スタンダード的な楽曲を生み出したという意味で、これも優れた音楽的な成果であることを忘れてはならない。

14. ブラック・コーヒー (『Desire』 1996)
『Desire』制作時、田島は参照項として細野晴臣の『はらいそ』の名前を挙げていた。細野のトロピカル三部作のような、沖縄からニューオーリンズまでを包含した折衷音楽というイメージがあったのだろうか。その細野の人気曲「北京ダック」や「ジャパニーズ・ルンバ」に相通じるところもあるような、コミカルな味を持ったノヴェルティー風のナンバー。アマチュア時代に田島は渋谷の中古レコード店、ハイファイ・レコード・ストアでバイトをしており、そこでルーツ・ミュージックに開眼したというが、この曲はそんな背景も感じさせる。前作収録のカリプソ・チューン「夏着の女達へ」からの連作的な趣も。

15. いつか見上げた空に (『EYES』 1993)
ラストを飾るのは、ピアノに導かれてスタートする、爽快なドライヴィング・チューン。カブリオレの幌を全開にして街を抜け出しどこかへ行きたくなる。初夏の夕暮れどきの空が、主人公のサウダージを誘うというストーリーにもグッとくる。田島貴男という人物の中には、いつも少年のようなイノセンスやロマンティシズムがあり、それが彼の音楽を説得力あるものにしているのだろうということを感じさせられる一曲。見知らぬ新たな景色を追い求める田島の音楽的好奇心は、現在もこれからも、素晴らしい音楽となって僕たちの心を揺さぶるとともに、愛と勇気と優しさという人間らしい感情を与え続けてくれるに違いない。
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